2012年3月19日月曜日

やべーーーーぜ!


博物館もののSIMSのスノーサーフィーンボードをチューニングさせて頂いた。

ソールの船底のように凹んでいる部分はハンドサンディングで仕上げました。
どんな乗り味か楽しみ!!

パウダーチューン10500円+インサート加工8カ所8400円
にセット値引き
でレジェンドな板に乗って遊べますよん!

もちろん乗り味もいろいろご要望にあわせてセッティングします。
壁仕様
カービング仕様
パウダー仕様
ご相談ください。


2012年3月15日木曜日

震災から1年

当時は言葉にする気がおきず、レポートしようと思いながらも1年が過ぎてしまった・・・
震災を忘れないために写真貼付けてレポートしてみます。

言葉にしたら誤解される。
言葉にしたらそれで完結してしまう。
有名な観光地の美しい写真を眺めて行った気になって行かない感じ?
そういうのになるのが嫌だった。

だったら言葉にせずに、一人でも多く直接向こうへ行って欲しい。
何もしなくて良いから、ただ見て来て欲しい。
当時はそう思って言葉にしませんでした。




当たり前に続くような日常もいつか終わりが来る。
毎日を大事に人に優しく生きよう。
と思いました。

10代の終わりに幼なじみが亡くなった時

僕も死ぬんだ。だったらめっちゃ楽しもう。

と思ったくらいのショッキングな出来事でした。
みんなの思いのこもった救援物資
実際はこの3倍あった。トラックとハイエースの2台を先輩に借りて運搬

ありえんくらいのプレッシャーに打ち勝つことができた。
当時はまだ3月だったので東北は燃料がなく
200リットルくらいの燃料も積んで出発した。
一方通行で帰って来れないとか窃盗団がいる。
とかいろんな情報が錯綜していた。

おかげさんで肝が据わりましたよ。
相棒の難あり男子さんたくん。
漫画になりました(笑)

漫画にも出てくるホラ貝
救援行った後友情の証し?として僕が預かる事になる。
今は彼はブラジルを放浪してたような気がする。
相棒のしみんこ。
物資多過ぎて急に車が2台になったことを告げたら
いきなりにも関わらず一緒に行ってくれる事になった。

勇気あるピースメン!!
今はガレキ問題に立ち向かっている。
山形まではガソリンが補給できた。
石巻についた。
夜なんであんまり見えない
「なんだ思ったよりたいしたことないじゃん」
と思いながら大学のグランドでテント張って寝た。
よくわからんけど涙がでた。

初日は
牡鹿半島という田舎へ物資を届けに行った。

田舎は地区のまとまりがあって、家はぐちゃぐちゃだけど亡くなった人は少なくて
みんな公民館に避難していて、意外とみんな明るかった。
地元青年団とかはいざってときに大事だなと思った。
僕も貢献しようと思った。

物資は人だかりができるくらいに持って行かれて
一瞬でなくなった。

ん?と思った。
物資を託してくれたみんなに申し分けない気持ちになった。
現地で仲間になった「ちゃん」
ここまで波に流されて何もないと
すがすがしい海岸にしか思えなかった。
翌日は市街地へ出かけた。
交通も麻痺したり津波の警報がならなかったりで
たくさん亡くなった。

翌日になるとこの風景も当たり前になって見慣れた。
涙もでない。


こんな状態になってもこの土地の名士と呼ばれる方は
「こんな俺でも頼ってくれる人がいるから避難や疎開はできねぇよ。」
と言ってどろどろになりながら
ご自分の母親と奥さんがなくなった自宅や近所のお年寄りの家を片付けていた。

母親と奥さんがなくなった状況を事細かに泣きながら僕にお話してくれた。
ありがとう。忘れません。

タバコを一箱さしあげたら泣いて喜んでくださった。
物資を渡したら
「僕はこれで充分だから他のところへ持って行ってあげて」
と言われた。

お会い出来て嬉しかった。地域の名士の姿を見させて頂いた。
写真をとりたかったけど、そんな失礼な事は僕にはできなかった。

市街地の方はみんな物資を受け取ろうとしなかった。
他に持って行って欲しいと言われた。

「このままじゃみんなの物資余っちゃう」と僕は思った。
ボランティア団体の調査で
震災から連絡のとれないお宅へ生存の確認にでかけた。
開かずのマンションに入るのドキドキだった。

普通に生活してらっしゃった。
物資をさしあげたら大変喜んでくれた。
被災から今日まで備蓄でしのいでいたようだ。

この先どうしようと思っていた矢先にお会い出来たので良かった。
これでボランティア団体が定期的に物資を届けに来てくれるだろう。

当時は物資が足りているとかマスコミが報道していたが、すみずみまで行き渡っていない方もいらっしゃった。
報道では真実は伝わらないと思った。
ボランティアに行くなとすら言われていたが
反対を押し切って来て良かったと思った。

炊き出し班から連絡があり、物資あるなら炊き出しのときに住民のみなさんに配って欲しいと言われた。

トラックで炊き出し場所に行った。

物資が行き届いている地域でたくさん住民の方がいらっしゃった。

わーーっとトラックにむらがって
「おむつない?」
「はぶらしはいらない!!」
「缶詰ならいくつあってもいいわ!!」

と持って行かれた。
リクエストにお応えするのに夢中になってしまい、トラックの上から
アレコレ物資を探して、スピーディにお渡しした。

だいたいお渡したら
炊き出し班のリーダーの方から

「悲しいよ。それじゃ自衛隊と一緒だよ。」
と言われた。

あいぼうの「ちゃん」とショックを受けた。
物資を託してくれたみんなにホント申し訳ない事をした。

物がありすぎると心が貧しくなるな。と思った。

後日談だが・・・
僕たちもボランティア本部に物があふれているのでついついつまみ食いをしまくり
さんたと二人「被災地太り」という超ダサイ現象に陥った。
かっこわるすぎです。勉強になります。
失敗からしか学べません難あり男子ですすいません。


「ちゃん」と相談して、行き渡ってないところを探してまた届けよう!
と決めた。
わたのは地区
この地区は駅の周りなのに、全然物資が届いてなかった。

ここの皆さんは大助かりなようで、とても喜んで受け取ってくれた。
いつものようにトラックにわーっと来られて勝手にもっていこうとされたので
僕は叫んだ
「直接手渡ししたいんです!!」

みなさんが一つ一つ大事に選んでくれた。
お礼も言ってもらったり
トラックのナンバーを見て
「富山からわざわざ来たの?!!じゃあ復興したら富山行かなきゃな!!」
と言ってくれた。

「がんばろう日本」というスローガンがあるけど
僕はここまで必死に生きている人達に「がんばって」なんてクソチャラい事は言えなかった。

「希望を失わずに生きて下さい」
そういう思いを込めて
「どうぞ」としか言わなかった。

「ちゃん」と嬉しくて泣きながら抱き合った。
あやうく富山のみんなに会わせる顔がないところだった。
わたのは地区の皆さんに救われた。
物資配りも無事終わって、これで富山に帰れる!!
でもまぁせっかく来たしボランティア団体に混ざってお手伝いしていくか。
と3日目はヘドロかきだし部隊へ加わる。


ガレキのホコリがひどくて花粉症の100倍ひどい感じになって
夜も全然眠れず死にそうになってきたので

こりゃいかん。と石巻から山のほうへ2時間半車を走らせて鳴子温泉へお風呂にでかけた。
さんたとエビちゃんという学生と3人で
鳴子温泉
ここ名湯!!!!やばい!!!

目がかゆくてしかたなくてこすったらばい菌が入って化膿して
気持ち悪いくらい真っ赤になった目がいきなり真っ白になって気持ち悪かった(笑)


きったねーかっこして温泉行ったら温泉のお客さんに
どこから来たの?と聞かれたので救援に来たとかなんとか話しした。

あらまー大変だなー!みたいな感じでまるで人ごとだった。
おなじ宮城県なのにこうも違うのかとびっくりした。

エビちゃんがヘドロ処理班のリーダーで
地元へ帰るからってことでノリで僕たちがヘドロ処理班のリーダーをひきつぐ事になった。

ボランティア団体が「日本財団」なんだけど、リーダークラスに昇格すると
「日本財団」ガムテープを名札みたいに貼ることが許される。

さんたと二人、あれやばくない??
やべーかっこいい!!
とか思っていたので貼ることができて嬉しかった。
翌日からはたくさんのボランティアを受け入れる事になり
僕たちはその大勢のみなさんの割り振りと指揮をすることになった。

ツアコン経験を活かしてテキパキと的確にこなす俺
「うーん」
なんかみんなアツい思いを持って被災地にやってきている。
その思いを僕に語る。

あー!はいはい!よくいるね君みたいな人
あーはいはい!ヒッピーな感じの人ねー
あーはいはい!はいはい!

カレ乙です!!!!

人も多すぎるとなんかもうシラけてきたよ。
大事なお客様を見送るさんた。

なんか二人でご苦労様でした!と礼をしてバスを見送る。
「ん??なんで被災地でツアコンしてんの??」
しんちゃんツアコンスイッチ入ってますけど・・・

そしてその翌日も同じくツアコン
今度は45才くらいのおじさんを部下のような形で連れて行く事に

「日本財団」ガムテープが光る我々はおじさんにアレコレ的確な指示を出し・・・

たぶん、普通に町で出会ってたら
とても面白くてとても尊敬できる
被災地まで救援に来れるほどの勇気のあるおじさん。

こんな形で出会うと、なんか初日で業務に不慣れなおじさん。

なんで俺たちそんな先輩に指示してんだ??

さんた。もう帰ろう。
もういいや。
翌朝
早起きしてさんたと二人石巻の高台へでかけた。

追悼の火おこしをした。
相棒さんたが被災地へ持って来たものは

防寒着
火お越しセット
ホラ貝
おまじないグッズ
お香

をい!食料は!水は!着替えは!なんかもっとこう避難グッズは???
さんた君最高です。
僕は君と友情を深めれて嬉しいです。

二人で追悼の儀をしたあと
一生経験する事のないだろう中間管理職になって
人様に失礼しまくっていた自分達を恥じて抱き合った(笑)
アホだなー!と。

なんであんなへんなガムテープかっこ良く見えたんだろ(笑)
んじゃ!俺たち帰ります。
ってことでボランティア本部のみなさんにお別れ。
「ちゃん」に垂れ幕を託す。

僕の目は化膿して別人みたくなってます。
膿みがでまくってゾンビみたかったなー(笑)
あれは我ながら気持ち悪くて鳥肌がたった。

ボランティア本部

なんか漢字の垂れ幕
なんだこのド右翼な組織は!?と最初思った。

見義不為無勇也 (ぎをみてなさざるはゆうなきなり) こうするのが正しいとを知っていながら、 それを実行しないのは、勇気のない、臆病者である。 ※※ 人はそれが正しいと思っても、自分の保身のために、 声を挙げない――ということがある。

リーダーの黒沢さんの座右の銘

初対面がいきなし他のボランティアさんに怒鳴っていたのでどんなドSな人かと思っていたんだけど、リーダーシップというものを見させて頂いた方

超かっこよかったです。
石巻のヤクザとも渡り合ってました。

僕も自分を信じて勇気を持って行動します。
ありがとうございます。お世話になりました。
せっかくなので他の沿岸の都市を目にやきつけにいく。
気仙沼
気仙沼の駅の方
津波のあと、大火災が起きた。
陸前高田市
海岸のようだが、ここは町の中心
全て波にさらわれた。


被災地へ救援に英雄気取りでかっこつけて物資をかき集めて行って参りましたが

アホの難あり男子
自分のアホ具合を勉強させてもらいに行って参りました。

僕を信じて物資を託してくださった皆様
義援金をたくしてくださった皆様
皆様皆様
ほんとにありがとうございました。

僕は33歳になって社会的にいろいろ責任を負う立場になりました。
この救援ではリーダーシップというキーワードが深く心に残りました。

山に籠ってアホアホで好きな事をしていたいのですがそうもいかないようです。
僕にしかできない仕事があると自覚しています。

これからも自分を信じて恐れず行動して参ります。
これからの僕の仕事、よりよいHAPPYな社会にしていくための活動

全てにこの救援活動は役に立って行くと感じています。
きっと活かして参ります。
今後とも何卒よろしくおねがい致します。

1年もかかりましたがレポートさせて頂きます。
ありがとうございました。
井原真吾